社長メッセージ
大正の終わりに祖母が築地で酒屋を創業し、昭和になって父親が会社組織にして、その一部門と免許を引き継いで平成元年に私が株式会社ジャパンインポートシステムを起業いたしました。
家業ということが洋酒の輸入を始めるきっかけではありましたが、自分の仕事選びという面では2つのキーワードがありました。「海外とかかわりを持つ」と「食に関する仕事をしたい」ということです。
この2つのキーワードは、生まれ育った築地に養われたと思っています。
築地といえば魚河岸のイメージが真っ先に浮かびますが、魚河岸ができたのは関東大震災の後です。築地には江戸時代から海軍の施設があり、また明治政府が外国人を最初に受け入れた場所で、隣の明石町の居留地には公使館や領事館があって西欧文化の窓口でした。
実際、私が子供の頃の明石町には当時の面影を残す植え込みのある馬車道やカトリック教会、旧聖路加病院などがまだ残っていました。日本で活躍した外国人の記念碑も、多く見られたものです。
家の前を流れる、海へとつながる川の水面を見ながら、子供心に外の国に対する興味を持つようになりました。
1960年代の築地市場は、今以上に活気がありました。毎日さまざまな食材が全国から集められ、多くの食のプロが競い合う場所でもありました。当時、私の生家は店の上にあり、階下は毎日プロのお客様であふれていました。どの食材が良くて、どんな調味料が合うといった食べ物に関する多くのことを耳にし、食べ比べは日常生活の一部でした。もちろん、家では父親が全国から取り寄せた酒のサンプルを飲み比べていました。「こだわり」など意識したことはありませんでしたが、周囲の言葉は胃袋を通して自然に私の脳味噌に染み込んでいきました。
お酒を通して海外の文化を紹介し、楽しみを伝えたい。その土地の風土や歴史、造り手の技が見える「本物の酒」。30年前から「本物の酒を探す」旅を始めて世界中の産地に足を運び、造り手に会い、商品を吟味し、選び抜いた納得の行く逸品だけを輸入しています。取り扱うアイテムが増えた今でも、私はすべての商品に関わり、自分で確かめています。
深夜、外でひとしきり飲んだ後、路地裏でふと目に入った捨てられた空き瓶をよく見ると、当社の商品。まず産地が頭に浮かび、造り手の顔も同時に思い出す。船会社、倉庫、取次店…。バーの看板に眼が行き、お客様の喜ぶ顔が浮かんできます。